ラベル ancient civilization の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ancient civilization の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012/06/10

(2) The reasons why I admit the Amarna. 何故私がアマルナを評価しているのか。



前エントリーに続いて、ユネスコからアマルナへの話を進める。


どこかでみたことはあるだろうか?




(The Constitution)
Since Wars began in the minds of men. It is in the minds from men that the defences of Peace must be constructed.

(L'Acte constitutif)
Les guerres prenant naissance dans l’esprit des hommes, c’est dans l’esprit des hommes que doivent être élevées les défenses de la paix.

(憲章)
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなくてはならない。




上記は
ユネスコ憲章前文の冒頭部分で、ユネスコからの郵送物に使われる封筒に印刷されている。
ユネスコとの付き合いがなければ、目に留めることもなかったかもしれない。
送られた封筒の印刷を "たまたま" 見たから、知っているようなものだ。


そんな程度の私が、力説するのも烏滸がましい話だが、

最近、益々エジプト・アマルナにハマって、忘れかけていたこの前文のことを強く思い出すようになった。


互いを知らないことが、誤解や懐疑心を生み、争いへと発展する。
習慣文化を知り、理解し合うことで 受け入れましょう。 という意味なのだ。
相手を理解する為の手がかり、その一旦が世界文化遺産という訳だ。
ならば、世界寺子屋運動の方が、世界遺産プロジェクトより直接的で力強い活動にも思えてくる。

ちょっとした懐疑心は、騙されたり・騙したりからも生まれる(前述の識字に繋がる)
知らない言葉、自分の「普通・常識 だけじゃないんだ」を知ることから、全ては始まるのかもしれない。

けれど、歴史が辛い経験を重ねた分だけ 受け入れるのは難しい。




異端と言われたアマルナのファラオ


アクエンアテンを始め何人かのファラオは "認められぬ王" として、歴代のファラオのカルトゥーシュを刻んだ【王名表】にも記録されないほど 「なかったこと」にされていた。

王名表:セティ1世葬祭神殿(アビドス)
王名表:セティ1世葬祭神殿(アビドス)
完全な形で残っている

20世紀の継ぎ目まで、アケトアテンのファラオが解らなかったのはこの王名表に刻まれていなかったからなのだそうだ。




何が異端だったのか


それには「古代エジプトの基本的思想・習慣」を知っておく必要がある。
  • エジプト人にあらずんば人にあらず。
  • 人ではないヒト型生物は奴隷である。これが「九弓の民」
  • ファラオ(王)を中心とした宗教国家で、儀式・祭事が重要視された。
  • 多神教の国家である。(日本の八百万の神信仰と共通)
  • 親子間婚姻の習慣がある。
  • 壁画に描かれる人物の大小は、実際対比とは関係なく、身分の上下を表わすなどの意図がある。

 九弓の民とは
外国人のことだが、「エジプト人以外の野蛮人」という意味合いが強い。古代エジプトの周辺の国を9つに分けたことに由来する。 代表的な外国は、南のヌビア、北のオリエント(ヒッタイト、バビロニア、ミタンニ)、エーゲ海(ミノワ、ロードス)、西のリビア、東のアラビア。


  具体化された思想 例
・エジプト人の足が九つの矢を踏みつけている絵
・手足を縛られ、首にリードを付けて跪く外国人(巻き毛、顎髭を蓄えた顔、大きく見開いた眼 などの特徴で表現される)の絵
・ライオンの姿をしたファラオ(頭だけファラオ)が、外国人を踏みつけている船のレリーフ(ツタンカーメン展-黄金の秘宝と少年王の真実-大阪天保山特設ギャラリー(2012年)
・ファラオが使う杖の足先は外国人の頭だったり...






アクエンアテンの場合(相違点のみ)

  • エジプト人以外も平等、外国人奴隷などの存在がない。
  • 外国人を客として迎えた。
  • 自分を大きく見せるため、他を小さく見せたりしない。
  • 多神教から、「アテン神」だけを信仰する一神教に宗教改革する。
  • 互いの国土を侵さず、国境(境界線)を設けた。




アマルナ(アクエンアテン)は、ユネスコの理念と同じだ!


結語は察しの通りだ。


つまり、
自分を大きく見せるため他を矮小化したりせず、
「外国人」として他習慣を理解し受け入れ、国土を侵さないのだから戦争もなかった。
そんな安寧な時代を築づこうとしたのが、アクエンアテンだった。

ファラオがファラオで居る為には、
民を餓えさせない、当時信じられていた方法(=祠祭)によって国が治められていなければならなかったはずだ。
餓えさせれば、略奪や王家の墓の盗掘(←実際に記録が残っている)などがおこり、失脚の心配もある事情は容易に想像できる。
「武力で他から奪い取る」ことが当たり前の時代に、短い時代だったとはいえ、実現させたエネルギーの凄さと、"古代"でそのユニークな思想を持っていたという点に感心させられる。



その数代後のファラオ、ラムセス2世は最も古代エジプトらしい王であったと、至る処に残している。

Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae アブシンベル大神殿/入口
アブ・シンベル大神殿/入口

Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae アブシンベル大神殿/アブ・シンベル台座のレリーフ
Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
アブシンベル大神殿/アブ・シンベル台座のレリーフ



3500年以上経った”現代”ですら、紛争も宗教観対立も解決する様子もなく、
自由競争の名のもと「如何に他を出し抜くのか」と切磋琢磨しているように見える。
行きすぎた資本主義では、最小限の元手で最大限の利益を得るは当然のことで。寧ろ「一番賢い」とさえ勘違いしている。そこに誰かの犠牲が存在していても、目を伏せきた。
誰かを唆して争わせ、それをタネに大儲けした国もある。
教育を歪め、やっぱりそれで大儲けした人もいる。





国連のユネスコ


勝手な言い方が許されるなら、

「国連自体、第二次世界大戦の勝戦国が作った談合組織みたいなもんでしょ?」なんて、個人的には正直気に入らない点も多々ある。100%国連の活動を支持しているわけじゃない。
独立していそうで、結局加盟国の駆け引きの現場を多々感じるからだ。

だが、他はどうでもユネスコの活動だけは、認める。評価してる。(=日本語でいうと高評の意)



寺子屋運動に似た活動をしている団体はいくつかある。
そのうちひとつの団体に賛同し、毎月欠かさず寄付を送金しはじめて、6年くらい経つ。

最近、やってなかった書き損じハガキをまた積極的に集めはじめた。
あの頃と違って、住所書き間違えて個人情報がどうのとかいう人いるんだろうな... とかいろいろ難しいかもしれないが。(情報保護スタンプとか使えば解決できそうでもある)





巻末に、ユネスコ憲章前文の"全文"を引用しておく。
是非、この機会にみんなに読んでいただきたい。

英語、仏語はそれぞれリンクを参照していただきたい。











前文
この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。
戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。
文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。
政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。
これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。
その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。





【関連ページ】

ユネスコ憲章 前文|英語|The Constitution
http://www.unesco.org/new/en/unesco/about-us/who-we-are/history/constitution/

ユネスコ憲章 前文|フランス語|L'Acte constitutif
http://www.unesco.org/new/fr/unesco/about-us/who-we-are/history/constitution/

国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)/The Constitution of UNESCO:文部科学省
http://www.mext.go.jp/unesco/009/001.htm



国連憲章(日本語)|国連広報センター
http://unic.or.jp/information/UN_charter_japanese/




【関連エントリー】

➤ 「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ。
➤ アマルナについて、少し。
古代エジプト関連、鑑賞のポイント










アメリカン ビジネスアワード
ゴールドマン環境賞

2012/06/09

(1) Les raisons pourquoi j'admets l'Amarna. 何故私がアマルナを評価しているのか。




このブログ や Facebook「いいね!」にチョイチョイ出てくるアマルナについて

「何故私がアマルナを評価しているのか」について、話してみようと思う。





アマルナ


クドイようだけど、「アマルナ」について、最低限。

エジプトにあるアマルナという土地はナイル川東岸、ルクソールから北に約400kmに位置し、古代エジプトでは「アケトアテン (Akhetaten) アテン神の地平線 」と呼ばれたそうだ。
19世紀の終わり頃、ようやくその存在が注目されたこの遺跡は
今訪ねても、未だ王墓といくつかの貴族墓、境界線ステラ(石碑)、日干し煉瓦の壁の一部、貴族の家の一部復元 くらいしかない。

ルクソールや他にあるような、立派な神殿は存在しないので
素人目には「何もない」ように見えて、面白くないかもしれない。←研究者の皆様、ゴメンナサイ。(^_^;;




エジプト・アマルナ。ビジターセンターからの眺め
エジプト・アマルナ、「境界線ステラU」への階段から振り返る



私の理解の限り
アマルナの一代王(アクエンアテン)は、おそらく史上初の「争いを回避した王」であったのではないかと思う。
(世界史に完全精通しているワケではないことをお断りしておく)




「世界寺子屋運動」を知ってますか?


以前、ユネスコの支援団体で地方事務局を運営していた時期があった。

おそらく、ほとんどの人がそうであるように 関わる前の私も
 ユネスコと言えば、「世界遺産!」 くらいしか知らなかった。

「世界寺子屋運動」といってピンと来る人は少ない。

ここで寺子屋運動について少し触れておくと
この運動は、主に発展途上国の識字率向上・ジェンダー平等の学習機会を目的に、学校を建てたり、特に母親への教育に力を入れているキャンペーンなのだ。
具体的に日本では、書き損じ葉書や 未使用 使用済み の切手のとりまとめ、募金活動などを行っている。




識字率向上の意味


例えば、市場に野菜を持って来た少年が居るとする。
それを買い取りに来たオヤジが もし、悪い人だったら 数や計算を誤魔化して、少しでも得しようとしたりするだろう。
だが、少年に識字があれば騙されたり損することは無く、正当な取引と収入で貧困から抜け出せるかもしれない。

貧困の世代的継承は、現在の日本でも著しく表面化してきた問題で、
発展途上地では過去から現在進行形の話なのは多くの人が知っている。
あるいは、周囲が発展してしまった分、取り残されてしまったと言うべきかもしれない。




識字率向上の鍵


鍵は2つある。

  1. 学校
  2. 母親

貧困層は貧困故に、子どもを学校へ通わせられない。
どんな幼い子も、労働力になるからだ。
そしてまた
貧困故に、子どもの多くが成人する前に病気などで死亡する為、多産である。
これを人口転換の用語で多産多死と言う。

学校に行ける、これは想像以上に大きなことで、いろいろなことを解決方向に導く。
「学校に来ると、食べ物が貰える」となれば、学校に通わせる親も出てくる。
この"貰える"のは、給食だけでなく、家にもちょっと持ち帰れるのだ。
これが学校の役目。
学習も勿論だ。

2つ目の母親。
それでも、学校に全員来られるわけではない。
そこで、家庭の中母親の役目が重要になってくる(父親ではないのがポイント)。
まず、母親を識字者に。その後、母親から子どもたちに教育が為される という考えだ。
これは個人的な感想だが、
最終的には、少産少死型へシフトさせていく狙いもあると思う。




ユネスコの定義する 識字(literacy)


ここで、立ち返って説明しておくべき点がある。

Wikiなどでは、識字(literacy)の古典的意味は「書き言葉の理解・整理・活用」として認識されている。

だが、
ユネスコの指すそれはもう少し広く、「生きていく上で必要な 読み・書き・計算」の意味だそうだ。
非識字少年の話も情熱溢れた若いユネスコ協会職員に、今も変わらずそこにある事務局の会議室で聞いたものだ。
PowerBook 1400c/133 や 2400に予備バッテリ2つ携えて、毎月 恵比寿に通った頃のことだから、どれくらい前のことかだいたい察しがつく。


※ 余談だが、PowerBook 2400の仕様書はAppleサポートで見つからないのね






識字率がどうしてアマルナに繋がっていくのか? 疑問を残しつつ、

長くなったので この話は次回に。






【関連ページ】

➤ 世界寺子屋運動|公益社団法人日本ユネスコ協会連盟

➤ Hans Rosling on global population growth | Video on TED.com

2012/04/10

アマルナについて、少し。


次いでに、
先のエントリーで出現した地名と、それにまつわる話を写真とともに。


まず、アマルナに行くツアーは、かなり少ない。
アクセスが悪い、かなりマニアック、未だ研究発掘中の向きがあり、観光地としての設備が整っていない(ホテルなど)という3拍子だからだ。

加えて、ベニハッサンという地(中王国時代の豪族の墓遺跡が有名/ジャグリング、レスリング、盆踊りの発祥の地とされる)に行くツアーもほとんど見かけない。


実際、観光客は私らだけで、この2カ所で日本人に会ったのは
中流域遺跡ツアーの拠点となる、ミニヤのホテルでJICA職員の男性に遭っただけで、
逆に先方が驚かれておられた「こんなところに日本人が居ることはまずない」と。


他、デンデラ、アビドスでも日本人はほとんど見かけないが、ゼロではない。


アマルナとは、そういうところなのだ。


これがアマルナ

一番右がカイロ在住20余年のカメラマンで、通訳で、考古学ガイドのOsamu Y氏。
テレビ局に「古代エジプトネタで番組作りたいんですけど」と相談されると番組の構成まで考えてあげる...的なこともされているとか。









「境界線ステラU」へと続く階段
(ステラ=石碑/階段は、現代になって作られた)




大きな地図で見る ステラUの場所(概ね)





ステラの最上部。
アマルナ美術と表現される、肉付きの良い下半身は「写実的」などと言われる。
痛みが激しいが、太陽から無数の"光の手"が差しのべられている図でアテン神が描かれているのがわかる。(エジプト版千手観音〜ん♪ ←いや、これは私の勝手な見解)
1枚目の写真は、このステラを登った途中の展望台から撮ったもの。
見えているところ全てがアマルナ遺跡と考えて良いそうだ。



あれ、テル・エル=アマルナって書いてあるじゃんよ? と、思いました?



これは、まだアマルナの全貌が解明される前に立てられた古い表記。
アマルナやアクエンアテンの存在は、ファラオたち的事情により隠されてきた為、まだ最近知られたばかりなのだ。
私たちは
この看板の前でこれまでの「どうしてエル=アマルナなのか?」と説明を受けたのだ。




アマルナといえば、ネフェルティティの「片眼の胸像」が彫刻家トトメスのアトリエから出土されたのも、アマルナ。

しかし今その胸像は、ベルリン博物館に展示されている。

ネフェルティティの胸像が出迎えるミニヤ中心部
この像は両目で、逆に違和感 ┐(´ー`)┌








大きな地図で見る ロータリーに王妃の巨像な胸像が鎮座




丁度、このネフェルティティ王妃(王はアクエンアテンです、念のため)の前を左から右へ大河ナイルが流れており、王妃の正面に大きな橋が架かっている。

左手、橋のたもとには 新しい考古学博物館が建設中だった。

ナイル左岸(王妃とは反対側)からの眺め
現代風ピラミッドのデザイン

当時、この新しい博物館に、アマルナ美術を集めて展示する。
目玉はもちろん、ネフェルティティの片眼胸像で、ドイツに返還を求めているのだ と聞いた。



さて、今
ツタンカーメンゆかりの品が来日している。(ツタンカーメン展 ―黄金の秘宝と少年王の真実― ←音が出るので注意)
春は大阪 夏は東京で展示だ。
かくいう私はエジプトでガラスへばり付きで見ておきながら大阪の前売り券を確保済み。

これら来日の品は、東京を最後に、エジプトへ帰国。
その後は現在建築中の新しい考古学博物館に収められ、以降は一切貸し出さないのだそうだ。

その、新しい博物館とは、ひょっとしたら↑↑↑コレ???
建設場所までの情報はなかったのだが、その可能性は多いにある。

ツタンカーメンは、父の宗教改革・遷都をなかったことにしたとはいえ、
彼の墓からはアマルナ美術の要素が多くみられたそうだ。


これは、ひょっとするとひょっとするかもしれない。



ちなみに当時、
アマルナ遺跡へは 大きな道、大きな橋がない為このようなエアコンなしのマイクロバスに乗り換え、悪路を進んだ。 最高気温43度湿度21% ツアー中は37度前後をキープしていた。
1970年代?
ナイルの渡し船には車もラクダも一緒。



「この橋が完成したら、大きな観光バスでそのままアマルナに入れるようになりますから、観光客もドッとくるでしょうね」と、Y氏。



そんなのイヤだ。
壁画は、人の呼気ですら黴が生えて、年々悪くなる一報だ。
ホンキで見たい人しか、受け入れてはならないと思う。



ベニハッサン、アマルナ、デンデラ、アビドス。 本当に素晴らしかった
また、個人旅行で行きたい。




ちなみに、このツアーは6名催行のところ、5名で催行してくれた。
客と、スタッフの数がほぼ同じ...というツアーだった。



またそのうち
エントリーすることもあると思う。
なんたって、今年はエジプトイヤーなのだから。(^_^)


【関連ページ】
     ➤ Amarna Project/アマルナプロジェクト(英語)
     ➤ ツタンカーメン展 ―黄金の秘宝と少年王の真実―(音が出るので注意)


【関連エントリー】
     ➤ 「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ。







「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ。



すまない。ツッコませてほしい...


見逃すことのできない事態だ。

「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ。


ここでは、埃及の話は初出ですね。
私は 「アラブの動乱」が始まるちょっと前に、エジプトを2週間ほど滞在した。

考想2年。
個人手配で行こうか、ツアーで行こうか 悩みに悩んで
ルートも厳選して。
ようやく、希望に添ったツアーを見つけて 連れいってもらった。

厳選にあたり、
もともと世界史好きだったとは言え
古代エジプトとその外周の知識を、学生時代以来再度復習。いろんな文献を読んで、エジプトを既に訪問した先人の紀行文をいくつも読んで、熟考に熟考を重ねたプランで実行したのが2010年9月-10月だった。


で、アマルナ


ここは、テーベからナイル川を300Kmほど下流に行った右岸に拡がっていた都市だ。

何か、問題か?というとその呼び名だ。


「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ


今は考古学でも「アマルナ」と呼ばれているはず。


そもそも
「テル・エル=アマルナ」とは何か?

「テル」は、(歴史が)重なった の意味
「エル」は、定冠詞。英語のtheと同じ  他のアラビア語圏は知らないが、エジプトは割と一般的に「エル」がつく。 
「アマルナ」が、地名。古代エジプトではアケトアテン


つまり、歴史が重なっていたとき「テル」とつくそうだ。

けれど アマルナは、
アクエンアテン(アメンホテプ4世改名後の名前)によって、多神教から唯一神アテンのみを奉る新しい政のために テーベ(今のルクソール)からアケトアテンという全く新しい場所に移された王都の地名だ。
それは、力を付けすぎた神官達から王政復古させようとしたのではないか? とも考えられている。


アテン神は、丸い太陽から無数の手が伸びてる絵で知られている。(個人的には、千手観音を思い出させるのだが...)


その後、父アクエンアテンの死で、王位に就いたのは少年王ツタンカーメン(Tutankatenトゥトアンクアテン)。 都はテーベに戻ったとされているが、
ある説ではメンフィス(アマルナより更に約300Km下流の古代都市。王都とされることが多かった)に移ったのではないかと言われている。


つまり、一代王政だけの都市に「テル」は使わないのではないか? というのが
最近の考古学の見解で、最近では「アマルナ」と呼んでいるのだと聞いた。




いたのに、
いたのに、
なのに!


古代エジプトの世界|大英博物館 古代エジプト展


あ... そうか、

Tell El Amarna ではなく、 Tal Al Amarna なのか。


テルエルアマルナ ではなく、タルアルアマルナ
現代地名だということか! 危うく早とちりするところだった。


だが、総じて納得いかない。 

ルクソール(テーベ) と、書くなら 
テル・アル=アマルナ(アケトアテン) と記載すべきでは...



いずれにしても

「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ、それは覚えておいてほしい。  それだけは言っておきたかったのだ。



長くなったので、エントリーを2つに分割することにする。



続きはまた後ほど。


【関連ページ】
     ➤ 大英博物館 古代エジプト展