すまない。ツッコませてほしい...
見逃すことのできない事態だ。
「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ。
ここでは、埃及の話は初出ですね。
私は 「アラブの動乱」が始まるちょっと前に、エジプトを2週間ほど滞在した。
考想2年。
個人手配で行こうか、ツアーで行こうか 悩みに悩んで
ルートも厳選して。
ようやく、希望に添ったツアーを見つけて 連れいってもらった。
厳選にあたり、
もともと世界史好きだったとは言え
古代エジプトとその外周の知識を、学生時代以来再度復習。いろんな文献を読んで、エジプトを既に訪問した先人の紀行文をいくつも読んで、熟考に熟考を重ねたプランで実行したのが2010年9月-10月だった。
で、アマルナ。
ここは、テーベからナイル川を300Kmほど下流に行った右岸に拡がっていた都市だ。
何か、問題か?というとその呼び名だ。
「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ
今は考古学でも「アマルナ」と呼ばれているはず。
そもそも
「テル・エル=アマルナ」とは何か?
「テル」は、(歴史が)重なった の意味
「エル」は、定冠詞。英語のtheと同じ 他のアラビア語圏は知らないが、エジプトは割と一般的に「エル」がつく。
「アマルナ」が、地名。古代エジプトではアケトアテン
つまり、歴史が重なっていたとき「テル」とつくそうだ。
けれど アマルナは、
アクエンアテン(アメンホテプ4世改名後の名前)によって、多神教から唯一神アテンのみを奉る新しい政のために テーベ(今のルクソール)からアケトアテンという全く新しい場所に移された王都の地名だ。
それは、力を付けすぎた神官達から王政復古させようとしたのではないか? とも考えられている。
アテン神は、丸い太陽から無数の手が伸びてる絵で知られている。(個人的には、千手観音を思い出させるのだが...)
その後、父アクエンアテンの死で、王位に就いたのは少年王ツタンカーメン(Tutankatenトゥトアンクアテン)。 都はテーベに戻ったとされているが、
ある説ではメンフィス(アマルナより更に約300Km下流の古代都市。王都とされることが多かった)に移ったのではないかと言われている。
つまり、一代王政だけの都市に「テル」は使わないのではないか? というのが
最近の考古学の見解で、最近では「アマルナ」と呼んでいるのだと聞いた。
いたのに、
いたのに、
なのに!
古代エジプトの世界|大英博物館 古代エジプト展 |
あ... そうか、
Tell El Amarna ではなく、 Tal Al Amarna なのか。
テルエルアマルナ ではなく、タルアルアマルナ
現代地名だということか! 危うく早とちりするところだった。
だが、総じて納得いかない。
ルクソール(テーベ) と、書くなら
テル・アル=アマルナ(アケトアテン) と記載すべきでは...
いずれにしても
「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ、それは覚えておいてほしい。 それだけは言っておきたかったのだ。
長くなったので、エントリーを2つに分割することにする。
続きはまた後ほど。
【関連ページ】
➤ 大英博物館 古代エジプト展
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