前エントリーに続いて、ユネスコからアマルナへの話を進める。
どこかでみたことはあるだろうか?
(The Constitution) |
上記は
ユネスコ憲章前文の冒頭部分で、ユネスコからの郵送物に使われる封筒に印刷されている。
ユネスコとの付き合いがなければ、目に留めることもなかったかもしれない。
送られた封筒の印刷を "たまたま" 見たから、知っているようなものだ。
そんな程度の私が、力説するのも烏滸がましい話だが、
最近、益々エジプト・アマルナにハマって、忘れかけていたこの前文のことを強く思い出すようになった。
互いを知らないことが、誤解や懐疑心を生み、争いへと発展する。
習慣文化を知り、理解し合うことで 受け入れましょう。 という意味なのだ。
相手を理解する為の手がかり、その一旦が世界文化遺産という訳だ。
ならば、世界寺子屋運動の方が、世界遺産プロジェクトより直接的で力強い活動にも思えてくる。
ちょっとした懐疑心は、騙されたり・騙したりからも生まれる(前述の識字に繋がる)
知らない言葉、自分の「普通・常識 だけじゃないんだ」を知ることから、全ては始まるのかもしれない。
けれど、歴史が辛い経験を重ねた分だけ 受け入れるのは難しい。
異端と言われたアマルナのファラオ
アクエンアテンを始め何人かのファラオは "認められぬ王" として、歴代のファラオのカルトゥーシュを刻んだ【王名表】にも記録されないほど 「なかったこと」にされていた。
王名表:セティ1世葬祭神殿(アビドス) 完全な形で残っている |
20世紀の継ぎ目まで、アケトアテンのファラオが解らなかったのはこの王名表に刻まれていなかったからなのだそうだ。
何が異端だったのか
それには「古代エジプトの基本的思想・習慣」を知っておく必要がある。
- エジプト人にあらずんば人にあらず。
- 人ではないヒト型生物は奴隷である。これが「九弓の民」
- ファラオ(王)を中心とした宗教国家で、儀式・祭事が重要視された。
- 多神教の国家である。(日本の八百万の神信仰と共通)
- 親子間婚姻の習慣がある。
- 壁画に描かれる人物の大小は、実際対比とは関係なく、身分の上下を表わすなどの意図がある。
九弓の民とは
外国人のことだが、「エジプト人以外の野蛮人」という意味合いが強い。古代エジプトの周辺の国を9つに分けたことに由来する。 代表的な外国は、南のヌビア、北のオリエント(ヒッタイト、バビロニア、ミタンニ)、エーゲ海(ミノワ、ロードス)、西のリビア、東のアラビア。
具体化された思想 例
・エジプト人の足が九つの矢を踏みつけている絵
・手足を縛られ、首にリードを付けて跪く外国人(巻き毛、顎髭を蓄えた顔、大きく見開いた眼 などの特徴で表現される)の絵
・ライオンの姿をしたファラオ(頭だけファラオ)が、外国人を踏みつけている船のレリーフ(ツタンカーメン展-黄金の秘宝と少年王の真実-大阪天保山特設ギャラリー(2012年))
・ファラオが使う杖の足先は外国人の頭だったり...
アクエンアテンの場合(相違点のみ)
- エジプト人以外も平等、外国人奴隷などの存在がない。
- 外国人を客として迎えた。
- 自分を大きく見せるため、他を小さく見せたりしない。
- 多神教から、「アテン神」だけを信仰する一神教に宗教改革する。
- 互いの国土を侵さず、国境(境界線)を設けた。
アマルナ(アクエンアテン)は、ユネスコの理念と同じだ!
結語は察しの通りだ。
つまり、
自分を大きく見せるため他を矮小化したりせず、
「外国人」として他習慣を理解し受け入れ、国土を侵さないのだから戦争もなかった。
そんな安寧な時代を築づこうとしたのが、アクエンアテンだった。
ファラオがファラオで居る為には、
民を餓えさせない、当時信じられていた方法(=祠祭)によって国が治められていなければならなかったはずだ。
餓えさせれば、略奪や王家の墓の盗掘(←実際に記録が残っている)などがおこり、失脚の心配もある事情は容易に想像できる。
「武力で他から奪い取る」ことが当たり前の時代に、短い時代だったとはいえ、実現させたエネルギーの凄さと、"古代"でそのユニークな思想を持っていたという点に感心させられる。
その数代後のファラオ、ラムセス2世は最も古代エジプトらしい王であったと、至る処に残している。
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3500年以上経った”現代”ですら、紛争も宗教観対立も解決する様子もなく、
自由競争の名のもと「如何に他を出し抜くのか」と切磋琢磨しているように見える。
行きすぎた資本主義では、最小限の元手で最大限の利益を得るは当然のことで。寧ろ「一番賢い」とさえ勘違いしている。そこに誰かの犠牲が存在していても、目を伏せきた。
誰かを唆して争わせ、それをタネに大儲けした国もある。
教育を歪め、やっぱりそれで大儲けした人もいる。
国連のユネスコ
勝手な言い方が許されるなら、
「国連自体、第二次世界大戦の勝戦国が作った談合組織みたいなもんでしょ?」なんて、個人的には正直気に入らない点も多々ある。100%国連の活動を支持しているわけじゃない。
独立していそうで、結局加盟国の駆け引きの現場を多々感じるからだ。
だが、他はどうでもユネスコの活動だけは、認める。評価してる。(=日本語でいうと高評の意)
寺子屋運動に似た活動をしている団体はいくつかある。
そのうちひとつの団体に賛同し、毎月欠かさず寄付を送金しはじめて、6年くらい経つ。
最近、やってなかった書き損じハガキをまた積極的に集めはじめた。
あの頃と違って、住所書き間違えて個人情報がどうのとかいう人いるんだろうな... とかいろいろ難しいかもしれないが。(情報保護スタンプとか使えば解決できそうでもある)
巻末に、ユネスコ憲章前文の"全文"を引用しておく。
是非、この機会にみんなに読んでいただきたい。
英語、仏語はそれぞれリンクを参照していただきたい。
前文
この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。
戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。
文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。
政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。
これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。
その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。
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【関連ページ】
ユネスコ憲章 前文|英語|The Constitution
http://www.unesco.org/new/en/unesco/about-us/who-we-are/history/constitution/
ユネスコ憲章 前文|フランス語|L'Acte constitutif
http://www.unesco.org/new/fr/unesco/about-us/who-we-are/history/constitution/
国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)/The Constitution of UNESCO:文部科学省
http://www.mext.go.jp/unesco/009/001.htm
国連憲章(日本語)|国連広報センター
http://unic.or.jp/information/UN_charter_japanese/
【関連エントリー】
➤ 「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ。
➤ アマルナについて、少し。
➤ 古代エジプト関連、鑑賞のポイント
アメリカン ビジネスアワード
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