次いでに、
先のエントリーで出現した地名と、それにまつわる話を写真とともに。
まず、アマルナに行くツアーは、かなり少ない。
アクセスが悪い、かなりマニアック、未だ研究発掘中の向きがあり、観光地としての設備が整っていない(ホテルなど)という3拍子だからだ。
加えて、ベニハッサンという地(中王国時代の豪族の墓遺跡が有名/ジャグリング、レスリング、盆踊りの発祥の地とされる)に行くツアーもほとんど見かけない。
実際、観光客は私らだけで、この2カ所で日本人に会ったのは
中流域遺跡ツアーの拠点となる、ミニヤのホテルでJICA職員の男性に遭っただけで、
逆に先方が驚かれておられた「こんなところに日本人が居ることはまずない」と。
他、デンデラ、アビドスでも日本人はほとんど見かけないが、ゼロではない。
アマルナとは、そういうところなのだ。
これがアマルナ |
一番右がカイロ在住20余年のカメラマンで、通訳で、考古学ガイドのOsamu Y氏。
テレビ局に「古代エジプトネタで番組作りたいんですけど」と相談されると番組の構成まで考えてあげる...的なこともされているとか。
「境界線ステラU」へと続く階段
(ステラ=石碑/階段は、現代になって作られた) |
大きな地図で見る ステラUの場所(概ね)
ステラの最上部。 |
痛みが激しいが、太陽から無数の"光の手"が差しのべられている図でアテン神が描かれているのがわかる。(エジプト版千手観音〜ん♪ ←いや、これは私の勝手な見解)
1枚目の写真は、このステラを登った途中の展望台から撮ったもの。
見えているところ全てがアマルナ遺跡と考えて良いそうだ。
あれ、テル・エル=アマルナって書いてあるじゃんよ? と、思いました? |
これは、まだアマルナの全貌が解明される前に立てられた古い表記。
アマルナやアクエンアテンの存在は、ファラオたち的事情により隠されてきた為、まだ最近知られたばかりなのだ。
私たちは
この看板の前でこれまでの「どうしてエル=アマルナなのか?」と説明を受けたのだ。
アマルナといえば、ネフェルティティの「片眼の胸像」が彫刻家トトメスのアトリエから出土されたのも、アマルナ。
しかし今その胸像は、ベルリン博物館に展示されている。
ネフェルティティの胸像が出迎えるミニヤ中心部 この像は両目で、逆に違和感 ┐(´ー`)┌ |
大きな地図で見る ロータリーに王妃の巨像な胸像が鎮座
丁度、このネフェルティティ王妃(王はアクエンアテンです、念のため)の前を左から右へ大河ナイルが流れており、王妃の正面に大きな橋が架かっている。
左手、橋のたもとには 新しい考古学博物館が建設中だった。
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当時、この新しい博物館に、アマルナ美術を集めて展示する。
目玉はもちろん、ネフェルティティの片眼胸像で、ドイツに返還を求めているのだ と聞いた。
さて、今
ツタンカーメンゆかりの品が来日している。(ツタンカーメン展 ―黄金の秘宝と少年王の真実― ←音が出るので注意)
春は大阪 夏は東京で展示だ。
かくいう私はエジプトでガラスへばり付きで見ておきながら大阪の前売り券を確保済み。
これら来日の品は、東京を最後に、エジプトへ帰国。
その後は現在建築中の新しい考古学博物館に収められ、以降は一切貸し出さないのだそうだ。
その、新しい博物館とは、ひょっとしたら↑↑↑コレ???
建設場所までの情報はなかったのだが、その可能性は多いにある。
ツタンカーメンは、父の宗教改革・遷都をなかったことにしたとはいえ、
彼の墓からはアマルナ美術の要素が多くみられたそうだ。
これは、ひょっとするとひょっとするかもしれない。
ちなみに当時、
アマルナ遺跡へは 大きな道、大きな橋がない為このようなエアコンなしのマイクロバスに乗り換え、悪路を進んだ。 最高気温43度湿度21% ツアー中は37度前後をキープしていた。
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「この橋が完成したら、大きな観光バスでそのままアマルナに入れるようになりますから、観光客もドッとくるでしょうね」と、Y氏。
そんなのイヤだ。
壁画は、人の呼気ですら黴が生えて、年々悪くなる一報だ。
ホンキで見たい人しか、受け入れてはならないと思う。
ベニハッサン、アマルナ、デンデラ、アビドス。 本当に素晴らしかった
また、個人旅行で行きたい。
ちなみに、このツアーは6名催行のところ、5名で催行してくれた。
客と、スタッフの数がほぼ同じ...というツアーだった。
またそのうち
エントリーすることもあると思う。
なんたって、今年はエジプトイヤーなのだから。(^_^)
【関連ページ】
➤ Amarna Project/アマルナプロジェクト(英語)
➤ ツタンカーメン展 ―黄金の秘宝と少年王の真実―(音が出るので注意)
【関連エントリー】
➤ 「テル・エル=アマルナ」じゃないはずよ。
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